近くて遠い距離

 「どうして俺が、一人寂しく調査に行かなければならないんだ。」
頬杖をついたロキシーが、少しふてくされたように言う。
「数名で行くほどの大規模なものではないので、一人で充分でしょう。」
 エルンストは顔色ひとつ変えずに、そう言った。
「じゃあ、どうしてお前が行かないんだよ?」
「私が行っても良いのですが、あいにく、研究会や報告会の予定が前々から入っていまして…。」
 申し訳なさそうに言うエルンスト。
「なんで俺に白羽の矢が立つんだよ?…そんなに俺は暇そうに見えるのか…?」
 そこで、周りにいた研究員が、ロキシーに向かって言う。
「主任が言ってましたよ、『ロキシーなら、必ずいい成果をもって帰ってきてくれるでしょうから…』って。」
 その言葉に、眼鏡をおさえて少し照れくさそうに笑う。
「ええ。心からそう思っていますよ。なので、是非お願いしたいのですが…」
 それを聞き、ロキシーは嬉しく思った。
 なんだかんだ言って、俺のこと、頼りにしてるんじゃん。ははっ、素直じゃないなぁエルンストは!
 二人きりだったらそう口にしていたかもしれないが、周りに研究員がいる中では言えない台詞であった。
「そうか。よし、エルンストの指名とあれば、聞かないわけにはいかないな。任せとけ。」
 けれど…
 カレンダーをチラリと見る。
「出発は、火の曜日、だよな。」
「そうです。…何の日なのかは知ってますよ、ロキシー。」
 ロキシーの瞳がパァァッと輝く。
「ロキシーさん、毎年誕生日の翌日に『あー寂しかった』って言ってるじゃないですか。」
「日ごろの雑務から解放されて、ひとりでのんびり研究旅行を楽しむのはどうですか?」
「お土産、買ってきてくださいねー♪」
 周りの研究員は口々に、ロキシーを励ましているのかからかっているのかわからないようなことを言う。
 それを、エルンストは顔色ひとつ変えずに聞いている。
「わかりましたわかりました。喜んで行かせていただきます。」
 もはや諦めたように、ロキシーは頭を掻きながら言った。
「あのなぁ…誕生日を祝ってくれる人のいない30代独身男には、誕生日は要らないってことかい?」
「帰ってきたら、盛大に祝ってあげますよ。」
「はいはい、楽しみにしてます。」
 皆の輪の中でニッコリと微笑むエルンストの顔を見たら、これ以上の言葉は出てこなかった。

 出発の前の晩。
 焦って荷物をまとめているロキシー。そのとき部屋の呼び出し鈴が鳴る。
 ピンポーン。
「ハイハーイ。」
 掴んでいたシャツをポイと無造作に置くと、玄関へ向かう。
 そこには、待ち望んでいた人物の姿があった。 
「すみません、こんな遅い時間に。明日の報告会の資料作りに時間がかかってしまいまして。」
「おやまぁ、主任さんではないですか。こんな時間にどうしたんですか。…ま・さ・か…?」
 おどけた口調で迎えてみても、エルンストの様子は普段とまったく変わりなかった。
「随分と楽しそうですね。そんなに調査が楽しみなのですか? …あ、お忙しいでしょうから、手短にお話します。」
どうやらエルンストは、俺が前の晩に慌てて準備をしていることを知っているようだ。
 ちょっと情けないかも、とロキシーは思った。
 それに、全く動じない様子に、本当に話を聞いているのかと疑いたくもなってしまう。
 そんなことは絶対にないということは、自分が一番よく知っているはずのだけれど。
 虚しいことに、いつもなら気にならない口調が、冷淡でなおかつ怒っているように聞こえる。
 ここで「ぶぅ〜っ。エルりん冷たーい」とでも言ってふざけたなら、ますます虚しくなる。自分が虚しいだけならいいが、
本当に呆れられてしまうかもしれない。ぐっと堪えて、話を聞く。
「一日早いですが、…誕生日おめでとうございます。」
 そう言って、紙袋を手渡す。
「え?…俺に?」
「あなたでなければ、一体誰に渡しているというのですか。」
「それはどうも…」
 驚いたというか、嬉しすぎるというか…
 まだ状況が飲みこめないでいるロキシーが、とりあえずプレゼントを受け取る。
「折角の誕生日に遠出の仕事をお願いするのは心苦しかったのですが…、あなたが一番頼りになるもので、それで…」
 玄関のぼんやりとした灯りが映し出す姿は、いつもと違う色見を帯びていて、このまま霞んで消えてしまいそうに見えた。
消えないように…頬に触れたい。抱きしめたい。そんな気持ちを、満面の笑みに変える。
「気にするなよ。ありがとな♪ やっぱ、おまえ最高。」
「喜んでいただけて嬉しいですよ。では私はこれで…失礼します。」
 自分に気を遣ってだろう、用件だけ言ってすぐに帰ろうとするエルンストを、ロキシーは呼びとめる。
 ちょっと待った、との声に、ピタリと止まり振り向く。
「…どうしました?」
 鋭くも美しく、穏やかな眼差しが注がれると、なぜか出かかっていた言葉はすぅぅと溶けていった。
「…いや、…ゴメン、やっぱりいいや。わざわざありがと!それだけ!」
 軽く会釈をすると、では、と言って去っていく。ほんの五分くらいの出来事だった。
 姿が見えなくなると、溶けていったはずの言葉が、胸を渦巻く。
   …俺のこと、……

「さてさて、何が入ってるんだろうなー」
 丁寧に包まれたそれは、掌2つ分と同じくらい大きさで、読まなければならないのに放ってある200ページの宇宙研究論文集最新刊と同じくらいの重さだった。
包みを破くと、白くてほどよい弾力のある物体が出てきた。
 「……なんだこれ?」
 手触りは良いが、触って楽しむものではなさそうだ。クッションにしては小さい。投げて遊ぶにしてはデカイ。
 包装紙にはストライプ模様が描いてあるだけ。それにビリビリと破いてしまったので、何の手がかりも見つかりそうにない。
 紙袋は、どこにでも売ってそうな無地のものだった。内側を覗いてみる。何も無い。
 「ん?」
 よく見ると、紙袋に小さなメモがテープで貼ってあった。

  ‐‐‐ロキシーへ
    お誕生日おめでとうございます。私がつくった安眠枕を贈ります。良い眠りを得て、疲れをとってください。
    試作に試作を重ねたものですが、不具合があったら教えてください。
    気をつけて調査に行ってきてください。
                                      エルンスト‐‐‐
 俺のために作ってくれたのか?
 いや、試作に試作を重ねたということは、もともと案があったものだろう。
 …もしかして俺、試作品のモニターに選ばれただけ?
 まさか。
 まぁ、なんでもいいか。あいつが、…あいつ自身が、俺にくれたプレゼントだ。
 ロキシーはその枕にそっとくちづけすると、鞄に詰めこんだ。
「携帯にも便利なサイズ〜♪さっそく使ったって言ったら喜ぶかなー。」
 しかし、できることならこれで一緒に寝たい、とは言えないロキシーだった。 
 

 対象惑星に来てからのロキシーは、エルンストから贈られた枕でよく眠り、よく調査し、充実した毎日を過ごしていた。
 時間に関わらず、少しでも空き時間が有れば、研究院のそばにある土手に来て、寝転がって空を見ていた。
 下が草原のようになっていて、とても気持ちがよかった。
 あと2日で調査終了というその日は、午前の調査のみだったので、昼下がりの青空の下で寝そべるロキシーの姿があった。
 …はぁ。
 青い空へと消えていく、ため息にも似た声。
 それはまるで、寒い夜に白い息が見たくてそっと息を吐く、その息遣いのようだった。
 薄らと浮かぶ白い雲が、白い息のように、今にもかき消えそうになり風に流されていく。
 ロキシーは草原に仰向けになり、空を見つめていた。
 いつもより、空が高く見える。いつもより、空が遠く感じる。
 俺が横になっているからだろうか、と思う。
 …いや、違う。
 たぶん、あいつがここにいないからだろう。
 惑星間の移動は何度も経験しているのに… これまでいろいろな惑星に行ったことがあるのに…
 どうしてこんな気分になるのだろう。
 俺の頑張ってる姿、あいつにも見せたかったなぁ。
 いや、まてよ。あいつの笑顔が見たいから、離れてても頑張ろうと思うのか?…たぶんそうだ。
 太陽の光を吸い込んでいつになく輝いている前髪が、さらさらと風に揺れる。
 あいつは、俺がこんなこと考えてるって、知ってるんだろうか…。
 …いつでもどこでも、想ってる、って…。
 もしかしたら、惑星を隔てていなくても、隣の町にいるだけでもこんな気持ちになるのかもしれない。
 目を閉じると、瞼を風が駆け抜けるのが、妙にくすぐったかった。
 そのとき、思った。
 要するに、俺は、どこにいてもあいつの傍にいたいってことだな。
 そう思うと、自然に笑みがこぼれる。
 なぜか、いてもたってもいられなくなった。
 たぶん、とにかく会いたいからだろう。
「あーー。…帰りてぇ。」
 立ちあがるロキシーの目の前には、土手の向こう岸にある向日葵畑が映っていた。
 思わず、口から「おおっ」と、驚きと喜びの混じった声がもれる。
「俺がひとりで見るにはもったいない、いい景色だ。」
 風に揺れる向日葵。
 見せてやりたかったな、あいつにも。
 …帰ったら、見せてやるか、あいつに。
「よし、向こう岸までランニングでもするか!」 
 そう言って走り出す。
 いつの間にか空には、雲ひとつなくなっていた。

Fin.







ロキシーのお誕生日と言うことで 波野さんより頂きました♪
実はわたくし、低反発枕愛好家でして、このお話しを頂いてから
毎晩寝るのが嬉しくなってしまいました←(貴方へのプレゼントじゃありません)
未だ恋人未満の二人を微笑ましく拝見させて頂きましたv
ありがとうございました〜♪