<Displeasure> ―――冗談じゃない。 かなり不機嫌な俺を、周りの研究員が遠巻きに見ている。 俺はさっきまで、とても上機嫌だったのだ。 あいつがあんなことさえ言わなければ。 「今日中にどうしても仕上げねばならない書類ができてしまったのです。」 午前中出席していた会議からエルンストが研究院に足早に戻ってきた。 「今から私は部屋で書類を作成しなければなりませんので、よほどの事が無い限り、立ち入らないようにお願いします。」 そういうと研究員の何人かに今日のスケジュールの変更や何かを手早く伝えていく。 その腕にはたくさんの書類が抱えられていて、あんなにたくさんの資料、今日中にってことは―――。 「ちょ、ちょっと、待て。」 俺が呼び止めると、あいつは少しでも時間が惜しいといった表情でこっちを向いてこう言ったのだ。 「すみませんロキシー。この仕事は私にとって、今一番大切なことなのです―――。」 本来なら、今日は夕方から二人で遠出をするはずだった。 あいつが「貴方はいつもすることが唐突すぎます。もっと前もって予定を立てていただかないと、 私にも都合というものがあるのですよ。」 などと言うものだから、今回はめずらしく一週間も前から言い含めてきたのだ。 出掛けるといっても、別になんていうことはない。 今は流星群が良く見える時期だから仕事の合間を縫ってでも見てみたい、とあいつが言っていたから、 時間を作ってやるつもりで誘ったのだ。 だからあいつはとても楽しみにしていた。 仕事なのは仕方が無い――――。それは解っている。 じゃあ、どうしてオレはこんなに機嫌が悪いのか。 さっきまで取り掛かっていた仕事もする気になれなくて、機械の電源を切って気晴らしのつもりで席を立つ。 いい天気だ。今日なんかは本当に、絶好の観測日和だったのになぁ。 ぼーっと窓際でそんな事を思っていたら、なんだ俺の方が楽しみだったんじゃないのか?なんて思えてきた。 まあ確かに、二人で出掛けるのは本当に久しぶりのはずだったのだから。 じゃあ、「俺が楽しみにしていたのに行けなくなった」からこんな気持ちなのかと言ったら。やはり、答えはNOだ。 理由はなんとなく、自分でも解っている。 でも、それをあまり認めたくないのかもしれない。 「主任は、本当にお仕事命だよなぁ」 「絶対、俺たちには真似できないなぁ」 近くのデスクにいたやつらがあいつの事を話している。 そう、エルンストにとって「今一番大切なこと」が「仕事」以外の何者でもないのだという事を、本人の口から言われたのが、 こんなにもこたえるとは思わなかった。 なんだか認めたくないことを認めたことで、さっきまでのむしゃくしゃが少しは収まってきたようだ。 かなり情けない収まり方ではあるのだが・・・。 「っていうかさ、ここに来てなかったら俺たちどんな仕事についてたと思う?」 「うーん、今研究員以外で、なってみたいものって、えっと、ロキシーさんなんかあります?」 さっきまでの険が取れたのを察してか研究員がオレに話し掛けてきた。 「ロキシーさんなら何にでもなれそうな気がするなぁ」 「頭いいですからねぇ〜」 いつもだったら冗談の一つでも言って返してやるんだが、あいにく今日はそんな気にはなれない。 「そうだなぁ・・・。今なれるんなら「仕事」になりたいかなぁ」 やはり約束の時間だった5時を過ぎても、エルンストが部屋から出てくる気配はいっこうにない。 よほどの事が無い限り入るなといわれている以上、今声を掛ける訳にもいかない。 どうせ今日は無理だろうと俺はあきらめて帰ることにした。 なにより一番大切な仕事なのだから、それはそれで楽しく過ごしているのだろう。 いや、それでもあんなに見たがっていたのだから空の様子だけでも伝えてやろうか。 そうすれば少しはあいつも残念がるに違いない。そんな顔を拝んでやるのもたまにはいいだろう。 少しひねくれた考えになっている自分に内心苦笑しながら、とりあえず研究院から観測用の望遠鏡を持ち出すことにした。 研究院内の施設なら観測にいい場所はいくらでもある。 でもあえてそこではなく、その裏の何もない丘に来ているあたり、やはりまだ自分の中でなにかしらのわだかまりがあるのだろう。 流星が見えるまでまだ少しの時間がある。 草っぱらに寝転んでふと建物の方を見ると、真っ暗な中で、一部屋だけ明かりのついている部屋が見えた。 あいつももう、出掛けるのはあきらめたんだろうが、あの量じゃ朝までかかりそうだな。 いくらなんでも、少しかわいそうな気もしてきた。 ここはやはり無理を言ってでも手伝ってやった方が良いだろう。 昔からオレはあいつには甘くできてるらしい。 「俺としたことが、大人気なかったかな。ちょっと意地を張りすぎたよなぁ・・・。」 うーんと伸びをしてから立ち上がって、望遠鏡を片付けることにした。 暗い中、フッ、フッと光の筋が空に明かりを引いていく。 「始まったなぁ。でもま、俺もまたの機会に見ることにするわ」 「どうしてですか?」 側で聞こえるはずもない、聞きなれた声に驚いて振り向くと、やはりそこに居るはずもないエルンストがいた。 「なん・・で 居るんだ?」 「望遠鏡がなくなっていて、でも一人で遠出をするはずがないと思いまして、それではここにいるのではないかと思ったのです。 でもロキシーが居ないようでしたら、仕事も途中ですし、すぐ戻るつもりでしたよ。」 いや、なんでここが判ったかじゃなく、どうしてここにいるのかが聞きたかったのだけれど、なんて言っていいか判らずに、 俺は二の句が告げられないでいた。 「約束していたのに、出掛けられなくなってしまって申し訳ありませんでした。」 そして俺が片付けようとしていた望遠鏡の側に寄って、エルンストは少し空を見てから、ああ綺麗ですね、と言い、 望遠鏡を覗きながら言葉をついだ。 「私には、仕事と同じくらい、貴方も大切ですから――。」 「仕事と同じくらいか、光栄だねぇ〜 ・・・じゃあ」 望遠鏡から目を離し、こっちを向いたあいつに軽く唇を合わせる。 ほんの一瞬だけ、かすめるくらいの・・・・。 「遅刻した罰!」 今日のところはこれで満足しないとな。 いつかは仕事より俺が大切だと言わせてやりたいが、それはきっとまだ先の話。 |
回りにかなり感化されて書いた初ロキエルSS。 随分前に推進委員会投稿用に書いたものです。 これがそのうち恥ずかしくないと思える日が来るのでしょうか(笑) |