--贈るということ


聖地はいつもより深閑とした静寂にあった。当然のことである。
今は一年の最後を明日に迎える夜であり、こんな遅い時間に未だ残っている者がこの途方もなく広大な
宮殿内にも数人を残すだけなのだから。
ところが、少し前から耳障りな音が王立研究院周辺に響いている。バタバタと忙しない靴音である。
研究棟から資料室の方に行ったと思う間もなく戻ってきたそれは、直ぐに検査棟に向けて去って行く。
一体誰がこんな時間に、しかも忙しく何かを求めて行き来しているのかとその姿を追えば、薄闇に金色
の髪が見てとれた。
職員の控え室を覗いて誰もいないと勢い良くドアを閉める。再び廊下に出ると辺りをキョロキョロと見
回し、仕方なさげに監視モニターの並ぶメインルームに戻っていった。
何度も顔を出しては退室してゆくロキシーを怪訝に感じた一人がいよいよ声を掛けた。
「ロキシーさん、何を探しているんですか?」
ドアから一歩を踏み出そうとしていた彼は振り向きざまにニヤッと笑い
「秘密!」と冗談めかしく返したのだった。
必死に…と言うわけではなかった。何が何でも見つけだそうという意気込みも特にはない。
単に「居るはず」の者が「居ない」から探しているだけの話だ。
しかしふと引き寄せた腕にある時計の針が間もなく11時を指そうとしているのに気づき、幾分の焦り
を覚えたのは事実だった。
宿舎に戻った形跡はない。いや…今日は戻るつもりもないのかもしれない。
明日の朝、女王の謁見から昼まで続く朝議をもって今年を終了し、翌日から2日の間聖地はつかの間の
休日となる。
聖地に仕える職員、文官、女官は勿論守護聖たちも短い休みの間は宮殿に上がらない決まりである。
しかし、聖地の要と言われる王立研究院は例外なのだ。この施設が全宇宙の平穏を管理していると言っ
ても過言ではない。たとえ休暇だと決められようともシステムを落とすわけではないから、実際には当
直の係が数名その任に就くのである。
新年の穏やかな休日を--それがたった2日であっても--何事もなく送れるようにと、暮れも押し迫った
この数日職員達は何時にも増して忙しく立ち働くのであった。
現主任であるエルンストは周囲の誰もから「ワーカーホリック」であると認識されている。つまり彼が
この日に帰宅するなどあり得ないわけなのだ。
エルンストが仕事だけの男とは言わないが、一つのことに打ち込みやすい又誰よりも責任感が強い性格
がこうした状況で殊更発揮されてしまうのだった。
ロキシーがこれだけ探しても彼の姿が見えないとすれば……。
「後は、あそこしかあり得ないか…。」
小さな呟きも響き渡ってしまう静けさを湛えた廊下で彼は確信したとばかりに頷いた。高い靴音が回廊
から遠ざかる。足早に先を目指すシルエットが仄明かりの向こうに消えていった。




研究院の豪奢な建物を大きく回り込むと裏手に広がる庭園に出る。整然と整えられた花壇の花々も夜の
中に色をなくしている。風はなく、しかし澄んだ漆黒が頭上を覆っていた。
しなやかなビロードを思わせる夜空には色とりどりの星々がうるさいくらいに煌めいている。
庭の中央にある噴水の脇に佇む人影があった。
『やっぱりな!』
ロキシーは口元に納得の笑みを浮かべる。それまで夜の静寂(しじま)を気にとめるでもない靴音を鳴
らしていた彼が突如歩調を緩め、まるで自分の存在を隠すかの忍び足でその人の後ろに近づいた。
すぐ脇にある外灯の青白い明かりに照らされるエルンストは、もしかしたら足を忍ばせなくともロキシ
ーに気づかなかったかもしれない。
一心に見上げる先には数多の輝きがある。天空の織りなす刹那の美しさに心を奪われているに違いない。
後ろから急に声を掛けたらさぞ吃驚するだろうとロキシーはそのタイミングを計る。
あと数歩……。息を殺してその真後ろに近寄る。
あと一歩近づいたら……。
ジャリ!
彼は驚かせるの一点に集中しすぎていたらしい。それまで足下は固くしまった土であった。
ところが噴水を中心に細かい玉砂利が敷き詰められているのを失念していたのである。
眼前に立つ肩が揺れてエルンストが振り返る。一瞬驚いた顔をしたがロキシーの見たかったのはそんな彼
ではなく、途方もなく飛び上がる程も驚いた様だったのだ。
ビクリと肩を震わせる彼を後ろから抱きしめてどさくさに紛れキスの一つもしてしまおうと考えていたの
であった。
「ロキシー!どうしたのですか?」
問いを向けた時のエルンストは既に驚いてはいなかった。幾分怪訝そうな顔をしただけだ。
「どう……って。
 一応、お前を捜してこんなトコまで来たんだけどなぁ。」
せっかくの計画が失敗したのもあり、ロキシーはどこか照れくさそうに軽く頭を掻く。
「何か急ぎの用事ですか?」
わざわざ自分を捜してこんな夜の中をやって来た相手に向けるには当然の問いであった。
「まぁ、急ぎって言えば急ぎだけど…。」
まさかあからさまに「お前に今日中に逢いたかった」とか「どうしても渡したい物がる」とか、ましてや
「後ろから驚かせようと思った」などと言える筈もない。しかも驚かせた際の余録まで期待したなどとは。
「お前こそ、こんな真っ暗なトコで何やってたんだよ。」
切り返しに掛かるロキシーは聞かなくとも分かり切った答えを導きだす質問を投げる。
何故エルンストがこんな場所で天を眺めていたのかなど答えを待つまでもない。それに此処に居ると踏ん
でやってきたのは彼自身の確かな予想からなのだ。
「気分転換ですよ。」
言いながら再び夜空に視線を送る。
「朝からずっとモニターの前に居ましたから、
 少しの間だけ息抜きをした方がこの後の効率が良いんです。」
必ずそう言うと思った通りの返答を僅か後ろに立ちながらロキシーは聞いている。
『んなことは分かってたよ。』
何年つき合ってると思ってんだ……、苦笑まじりの溜息を落とす。
腐れ縁と言っても構わないくらいの年月を過ごしてきたにも関わらず、彼はこうした人の心の機微には疎
いのである。まだロキシーの言わんとする意味が理解できないらしく、空を見上げたまま又同じ事を繰り
返す。
「それで、用事とは何ですか?」
これにはロキシーも参ったらしい。今度は声を殺さずに笑い出した。
「まぁ、用事ってほどでもないんだけどな。」
それより……。
また一生懸命に星をみていたんだろうと、エルンストが見上げていた辺りに視線を走らせた。
「別にいつもと変わらねーと思うんだがなー。」
聖地の上空に広がる空は外界よりずっと近く見える。地表からは小さな円でしかない月も手を伸ばせば届
きそうなくらい間近に感じる。けれど、我を忘れて見入るほどのものとも思えなかった。
「あなたにすれば、そうなんでしょうね。」
エルンストから小さな笑いが聞こえる。
「この地は外界と違って気象管理が行き届いてますから、体感出来る季節の移ろいをあまり実感できない
 のは仕方がないのです。
 でも……。
 今、私たちが見ているのはこの季節にしか見えない星なんです。」
彼はロキシーに語ると言うより、自分自身が確認するように言葉を続けた。
「聖地は主星の公転、自転に合わせて動いています。
 ですから、ほら…。」
指さした先に一際明るい星の集まりがあった。
「あれはが最も鮮明に観測できるのは今なんです。」
まるでその星に焦がれたとでも言う風に彼は雄弁に語るのである。
「ふーーーーん。」
興味があるのか無いのか、ロキシーの打つ相づちはどこか気もそぞろであった。
吸い込まれそうな満天の星空を見つめるエルンストを余所にロキシーは何やらゴソゴソと衣服のポケット
を探っている。
「お前が星みるのが好きなのは分かるけどさ。
 こんな人気のない薄暗い場所で何時間も上を向いているってのもやっかいだよな。」
一体何を言いたいのかとエルンストが顔を巡らせ相手の顔を確かめようとした、その時。
背後から抱き込むかにロキシーが両腕を彼の肩に廻した。
「なぁ、良い物やろーか?」
彼のこうした態度には慣れている筈であるエルンストも、流石に何を言われているのかが理解できず少し
怒ったように廻した腕への抗議をしようとした矢先。
ホラ!
胸の前にあった掌に何かが乗せられた。ごつごつとした手触りに何事かとそれを眺める。
表面を細かくカットした、大きさはゴルフボールくらいの、薄黒い塊が彼の手の中に在った。
「これは……?」
「ガラス玉だよ。」
凡そ美しいとは言い難い、何に使うのかの予想もつかないそれがガラス玉だとは。
エルンストは大きく目を瞠る。
「それ、あの外灯に向けて覗いてみな。」
何だかわからないまま言われた通りにそれを透かして外灯を見る。
「あ!!!!!」
普段の彼からは決して上がる筈のない驚きの声が洩れた。
掌に収まってしまう小さな球体の内側には広大な天空が描かれている。少し腕を返して角度を変えれば、
広がる星の姿が瞬く間に変化する。
「スゲーだろ?」
たまたま覗き込んだ玩具店にあったのだとロキシーは言う。黒い色ガラスの表面に施された数えきれな
い面を通して入り込んだ光が内部にもう一つ収められた二周り小さな球体の表に乱反射して、内側に果
てしない宇宙を作り出していた。仕組みが知れれば全く子供だましだと一笑に伏す玩具である。
「これなら真っ昼間でも息抜きできるだろ?」
嬉しそうなロキシーの声には僅かに自慢げな響きがあった。
「ええ、本当に。」
先ほどまで空に注がれていた視線が今は小さなガラス玉に吸い込まれている。
角度を変え、光源との距離を変化させ、エルンストは飽きずにそれを覗き込むのだった。
廻した腕をそのままに彼の様子を満足げに眺めるロキシーが手元の時計にちらと目を向けた。
針は間もなく日付が変わるのだと知らせている。
「エルンスト…。」
「はい?」
余程気に入ったらしく、呼ばれても振り向く気配はなかった。
「誕生日、おめでとう。」
「は????」
不意に告げられた祝いの言葉に彼は弾かれたかに顔を巡らす。
何の……。
エルンストが次ぎを続ける前に微かに開いた唇をロキシーのそれが掠めた。
吹き抜ける風のような軽いキス。
「おまけ……な。」
ロキシーは何時もと変わらぬ笑顔を浮かべていた。
「あと五分しかないんだぜ、お前の誕生日。」
ああ………。
こんな夜更けにわざわざ自分を捜しにやって来た事、唐突と渡されたガラスの天空、そして祝いの言葉。
エルンストの中でさっきから彼が見せた不可思議な行動が意味を持ったのである。
「あ、ありがとうございます。」
仄かに笑んで彼は感謝を贈る。
悪戯な笑みがロキシーの顔に広がった。
「そんな畏まった礼なんか良いけど……さ。」
それでも返してくれるなら、言いながら彼は唇を寄せる。
エルンストが躊躇ったのはほんの半瞬だった。
青白い外灯の灯りが描く二つのシルエットが重なった。きっと離れるのは少し時間が過ぎてからだろう。



柔らかな唇の感触を辿りながらロキシーは胸の内でこんな事を考えた。


何かを贈りたいと思った。
出来れば喜ぶ物を。
勿論、欲しいと請われればどんな物でも探し出すに決まっている。
でも、欲しいなどとは言わないのも知っていた。
それを手にした時、少し驚いて、少し困った顔をして、最後に嬉しそうに笑うなら文句はない。
誰も知らない笑顔を見せて『ありがとう』と言ってくれるのだろう。


そんな顔が見たくて何かを探す。
それが………贈るということ。




---end




清い心で書きました。(笑)お誕生日の日が終わる瞬間の一こまです。
主任が見上げていたのはひねりがナイですが「アンドロメダ」です。
ロキのプレゼントは勝手な想像の産物なので果たして多面体のガラス玉で
あんな綺麗な夜空が見えるのかは不明です。(信じちゃ駄目だ!)
それでは改めて…。
エルンスト主任、お誕生日おめでとうございます。


ピュアな作品をありがとうございます(笑)←なぜ笑う
相変わらずロキシーが憎いあん畜生で大好きです♪主任はピュアだし〜♪
やっぱりぽっちーさんの文章は大好きだ!
やはり強奪には違いないのですが、素敵なお話を惜しげもなくいただけて
恐悦至極です。ありがとうございました〜♪