<君ありて>


「お〜い!待てよ」

エルンストが王立研究院の廊下を歩いていたら、中庭に集まる同僚の間から走り寄ってくる一人の研究員の姿がみえた。

「ロキシー…」
足を止めて、彼が来るのを待つエルンストの表情は冴えない。皆と話してるなら、どうか自分の姿など気にとめて欲しくなどなかった。
「呼び止めて、悪い。いや、今度の研究会の打ち上げにはお前も来ればいいと思って…」
エルンストの暗い表情に気づいていてもあえて触れないのか、ロキシーはいつもの明るい調子で微笑みながら言った。
「…私は、そういうのは苦手だと言っているでしょう。研究のこと以外は話題もありませんから」
ロキシーはその言葉を聞くと、ため息をついてエルンストの肩に手を置いた。
「だけどな、お前、今度の聖地の女王試験の件があるだろう。研究会に来るのも最後なんじゃないか」
「最後に研究以外のことで皆さんにつまらない思いなどさせたくないですから」
エルンストはそう言うとロキシーを残して再び歩き出す。
「エルンスト!…話があるから、今夜お前の部屋に行く」
背中に投げかけられた声に、エルンストは振り向きもしなかった。
いつも明るくて、人の輪の中心にいる彼が羨ましくて。
12歳で出会った頃から、ときどき眩しくて直視できないほどだった。

…私のことなどほっておいてください。

研究することしかできないエルンストは、なんとか自分を人の輪に入れようとするロキシーに何度そう言ったことだろう。
人の輪を拒むエルンストにロキシーは困ったように笑いながら、構うことをやめなかった。
どこかで。ロキシーが自分を見捨てないことがわかっていたから、エルンストもそう言えた。
だけど、聖地に行くことになったら。もし自分がかの地で長い間過ごすことになったら。女王試験の間だけとはいえ、何が起こるかわからない。
聖地との時間の流れの違いでロキシーとは永遠に会えなくなるのだろうか。

エルンストもため息をついた。ただし、先ほどのロキシーの呆れたようなため息とは違い、胸が塞がれるような気持ちから思わずフッと息を吐き出すようなものだった。
研究のこと以外は何も考えたくない。ロキシーは今夜、自分に何を言うというのだろう。 多分、人付き合いに関してのことであろうが、聖地に行くような自分に、もう人間関係などは悩みの種でしかない。
どこへでも身軽に調査に行けるようにするためには、孤独でいるのが一番良い。その方が合理的だ。
エルンストは、もやもやした感情をそう片付けて次の仕事に向けて頭を切り替えることにした。
だが、ロキシーの困ったような微笑が脳裏に浮かんで仕方なかった。




「エルンスト、入るぞ」
ノックの後、返事も聞かず扉が開いて、ロキシーがやってきた。
研究院は万年人手不足で研究員は朝も夜もなく働いていたのでやってきたのは深夜の2時。
エルンストも研究員宿舎の自室で、パソコンを叩いていたので起きていた。
「お前、まだ終わってないのか。大変だな、引き継ぎも」
「…いえ、仕事ですので」
机のノートパソコンの画面から目を離さずに、エルンストがそう答えたらスッと手が伸びてノートパソコンを閉じられる。
「話があるんだ…。ちょっと真剣に聞いてくれ」
作業しながらでも耳は真剣に聞けますが、と答えそうになっていつになく真摯なロキシーの目に黙り込む。
「お前は、回りくどいことを言っても通じないだろうから、ストレートに言うが…」
と、ロキシーが言葉を切って珍しく言いにくそうに躊躇するので、エルンストも何故か急に緊張した。
「俺はお前が好きだ。…LikeじゃなくてLoveだと言えば、わかるか」
「……。えっ…」
ロキシーの言葉がエルンストにはよく入ってこない。宇宙力学の理論なら数瞬で理解できるエルンストも、こういうことは初めてだった。
今までに女性研究員からアプローチされたことはあるが、冷静に切り返してしまい、女性研究員たちから反感を買ってロキシーがとりなしてくれたこともある。
だけど、今回のケースは冷静に切り返すことが出来なかった。
心拍数が急上昇し、混乱が混乱を呼び、ただ呆然と友人だった相手を見つめることしか出来なかった。
「俺は、お前になんて言われようと、お前を諦めるつもりはないさ。お前は聖地に行ってしまう。研究の腕はお前の方がいいから当たり前だ。
だけどな、俺は出世して、いつかお前に会いに行くさ」
「どうして…」
エルンストはやっとのことで口を開く。椅子に座ったエルンストはロキシーを見上げている。ロキシーの目は真剣そのもので、泣きたいような気分になる。
「どうして、今言うのですか。私は余計な感情など、持って行きたくはなかったし、聖地に行くのなら、…聖地に一人で行くのだから、一人で…」
エルンストの目に涙が溢れた。
子供の頃から泣いたことなど、ほとんどなかったのに。
熱い涙の感覚は、初めてに近いものだった。
「エルンスト…」
突然、ギュウとロキシーに抱きしめられる。
エルンストは抵抗することが出来なかった。
腕に力が入らず、ただ間近な人の体温はこんなに温かかったのか、と思った。
「はなしてください…お願いだから、私を苦しめないでください」
「泣いてるお前をほっとけないよ」
エルンストは涙を止めることに努めた。
こんなこと、なんでもない。親友に告白されて、混乱しているだけだ。
私はただ、聖地に行けばいい。
「落ち着きました…大丈夫です」
手に力を入れてロキシーの体を離した。
「あなたの気持ちには、答えられません。研究会の打ち上げにも行きません。私のことはもうほってお…」
ロキシーが突然動いて、エルンストの唇をふさいだ。
エルンストは瞬きもせず、ロキシーが離れるまで固まっていた。
顔を離したロキシーはひどく傷ついた表情をしていた。
「俺の15年間の想いを、たった一夜で壊されてたまるか」
そう言うと、ロキシーは踵を返して部屋を出て行った。
後に残ったエルンストは、しばらく固まったままでいたが、ノロノロと部屋の電気を消し、ベッドに横たわった。
結局、その晩は眠れず、起きていても仕事が手につかなかった。
朝になってもこの部屋の全てが、混乱の夜を思い出させ、耐えきれずにエルンストはたまった仕事を少しでも処理しようとノートパソコンを持って外に出た。
他の研究員になるべく会わないように気をつけながら。

時刻は、ちょうど朝の10時になろうとしている。
研究院から、少し歩いた先の公園のモニュメントを兼ねたような丸いベンチに座って、パソコンを開く。
大丈夫だ。だいぶ仕事の頭が働いてきた。
と、同時にそんな自分はずるい、と思う。
ロキシーは15年間と言っていた。ほとんど出会ってからこれまでの年月だ。
女友達も多いロキシーがまさか自分のことを?
親友としての付き合いだっただけに、予想外だった。
だとしたら、ずいぶん苦しい想いをさせてきた。
その想いから、自分は逃げている。

エルンストは眼鏡を外して疲れた目頭を押さえた。
パッと手を離したとき裸眼の目の前に赤の色彩が飛び込んできた。
びっくりして裸眼の目を上げると、目の前に赤い花を差し出したロキシーの姿があった。
声もなく見上げていると、ロキシーが花を掲げながら目の前でしゃがみこんで、エルンストと同じ目線になる。エルンストはとりあえず眼鏡をかけた。
ぼやけていたロキシーの表情は笑っていた。
「この花、綺麗だから、思わず摘んでしまったんだ。なんていうんだろう」
「…ゼラニウム、です」
「そうか」
赤い花とロキシーの姿は明るい光の中でエルンストとって鮮烈であたたかなイメージで迫ってきた。
「お前を困らせるなら、俺のことはもういいから。お前に、幸せになってほしいだけなんだよ」
「ロキシー…」
「真面目だから、お前は、さ。俺のことで悩むなよ、悩んでくれるな」
「私は...」
エルンストはまた泣きたくなった。
自分のことでいつも心を砕いて、悩んできたのはロキシーの方だっただろう。
目の前のロキシーが心から笑っているので、滲む涙をこらえるように笑った。
「私は、あなたにここまで守られてきたので、幸せです」
エルンストがそう言うと、ロキシーはますます笑みを深くした。
「そうか、…それだけで、俺は満足だよ」
ニコニコ笑うロキシーに一抹の寂しさを覚えてエルンストは言葉を探す。
たどたどしくても、伝えなければいけない。
「ロキシー、あの、私はいまだにあなたの想いに混乱していますが、私は、あなたを、その」
「…エルンスト」
ロキシーが立ち上がって、エルンストの横に座る。
「ゆっくりで、いいよ。…聖地での暮らしが大変とか、もしくはあんまり悪くないって思ったときに俺を思い出してメールをくれよ。お前の気持ちは、今度会った時でいいからさ」
エルンストは微笑して頷いた。

ロキシーの笑顔や、声や、そのすべてが、そばにあると落ち着くのは何故だろう。
何気ないスキンシップでドキドキしたのは何故だろう。 親友だから。
心を許せる唯一の相手だから。
ずっとそう思ってきた。
だが、答えを急ぐのはやめよう。
彼がいるだけで、自分はとても幸福なのだから。




君ありて


ミツさん企画の「FlowerFesteval」にイラストを投稿させていただいたら
なんとミツ様がお話を書いて下さいました!(超俺得!!)
ドキドキしながら投稿した自分を褒めてあげたい
「君ありて」は赤のゼラニウムの花言葉です。
そしてこのお話の続きも描いていただいちゃいまして
一応R18ってことで。また別口に用意せねばです
恋人未満でドキドキしてる初々しい主任がかわいいですv ありがとうございましたv